先日、小田原の農家に、稲の種付け作業を手伝いにいきました。お天気がよく畑の周りの木々が新緑に染まり、いい空気を思い切り吸いました。親たちが働いている間、3歳と5歳の女の子たち4人が、泥んこになって、朝から夕方まで遊んでいました。、畑の空き地で遊ぶ彼らは、ときにみんなで遊んだり、一人遊びをしたりで、けんかして大泣きもしてましたが、うらやましいくらい、満たされた様子ですごしていました。腐葉土の山にビニールをかけた小山でのすべりっこ。土と水をまぜて泥団子づくり。どろどろになった土を料理にみたてて、お店屋さんごっこ。ひとりでしゃがんで、ミミズと団子虫をさがし。苗床のためにふるいにかけられた土が入っている箱の中が気持ちがよくて土の中からなかなか出てこない子。ごぼうをとるために掘った、ちょうど子どもの背丈よりすこしちいさな土の穴が気に入ってなんども穴にはいってすわってはでてくるのをひとりで一時間ちかくくりかえしていた子。
この年齢の子どもたちの、次々に面白いこと見つけてそれに熱中する様子を見ていると、ほんとうにこんなことを実感するのですー―子どもたちは土の感触に包まれながら、余計なことを考える余地などない、今、見えたことへの集中、今、気持ちのいいことへの集中の中にいる。そして彼らは、流れ去る日常の時間に漬かっている私たち大人とは違う、別の、今という流れ去らない時間の中にいるのだ、と。片山さんの描く子どもに似ているー―というか、片山さんの描いているのは、こういう「子どもそのもの」なんだ、と。