1月11日のさわやかな土曜日の午後、「飛ぶ魚」では今展示中の井林まさこさんのトークがありました。会場は井林さんのお話を聞きたくて集まった方たちでぎっしり。窮屈な姿勢で座ってお疲れの方もおいでだったことと思いますが、会場はお話のあいだ、水を打ったようになり、感動の波が静かにつたわっていきました。
まさこさんは初めに生まれ育った飛騨の山深い美しい小さい町がご自分の原風景なこと。やんちゃな、活発な、絵が大好きな子どもだったこと。お父様が創作料理で色鮮やかな風景を作る、芸術的なことに関心が深い方だったこと。小学校3年生のとき、お城の写生で、上から鉛筆でびっしり描きはじめ時間がきたときには画用紙いっぱいに屋根までしか入っていなかった、もうがっかりしたのですが、しばらくして、その絵が知事賞をとって、なんと当時としてはめずらしい36色の水彩絵の具をもらったのがどんなにうれしかったか。銀色の絵の具を宝物のように眺めていたことなどを、楽しそうに生き生きと語ってくれました。
高校3年生になって絵の学校にすすみたいと、夏休みなど、親戚のうちから絵の予備校にかよったけれど、都会の子とのレベルの差に愕然としながらも、頑張って勉強したそうです。でもそうやって入った美術大学の授業はつまらなくて、おちこぼれ、バイトしながら、イギリス、ヨーロッパ、アラブ地域を歩き回り、海外の雑貨をみたり、英語でコミュニケーションし、海外の暮らしに興味をもつようになります。そして帰国後、チャイハネというエスニックのお店に就職し、売り子をしながら、次第に企画もするようになります。インドでエスニック調のオリジナル小物などつくり、それが好評で売れる体験も楽しかったのですがしだいに、組織で働くことにつかれ、退職し、仕事としてではなく、インドを旅します。しかしインドの刺激につかれ、ネパールへ旅立ったのが、1995年。そこでネパール料理のおいしさにめざめ、あらたに「ゆいガイア」という会社をたちあげ、カレンダーの絵を描く喜びでいっぱいになります。「絵を描くことは魂を削る作業。自分のありったけを注いで、そがれていく。そしてまた新しいDNAをつけたしていくような。すごいエネルギーがかかるけど、その恍惚の時間がたまらなく気持ちいい」
ネパール料理が食べたくてかよったネパールから、しだいに山歩きにはまっていき、山間部の暮らしが見えてくるにしたがって、社会の矛盾にきづいていきます。貧困問題、環境問題。差別される人たちが自分たちと同じように幸せであってほしい、と願うようになり、2003年より、たったひとりで、カレンダーの紙である手漉きのロクタ紙のもとになる、ロクタの木の栽培のNPOをはじめます。ロクタの生育地はカトマンズからバスで4時間、山岳を徒歩で2日間歩く、標高2300メートルの貧しい地域でした。年に何回も通いながら、ゲリラ戦に巻き込まれ、命をうしないそうになったことも。そんな中でネパールの人たちと寝食をともにしながら語り合い、なげやりなことばも聞こえる中で、「誰も死にたくない、誰もが夢をもっている、その夢を実現させたいから死にたくない」ということばを語る人がいました。そこに希望を見つけ、続けてきたNPOも11年、カレンダーづくりは15年、今では手漉き工場もネパールの人たちの力で設立できたそうです。
その後、お話をたくさん聞き覚えているプルさんの再話でネパールの昔話『トラとネコ』の絵本もできました。まさこさんの描かれるトラは実に生き生きと動いていて、まさこさんのエネルギーが込められたすばらしい絵です。原画が展示してありますので、ぜひご覧ください。もっともっといろんなことがあったのでしょうが、かいつまんで語られたまさこさんの物語は、きらきらと輝いていて、みんなを魅了しました。やんちゃで利発で絵が大好きな、一途な女の子の真摯な物語でした。
お話のあとはプルさんのネパールの太鼓と踊り、まさこさんとかわいい愛万音ちゃんも加わっての踊りを披露してくださいました。プルさんの体中しなやかな動き、大きく手を挙げ時折上を見上げて動くしぐさは、のびやかで、明るく、すてきでした! 2階でいねこ先生と六ちゃん先生とあそんでいた10数名の子どもたちもおりてきていっしょに楽しみました!プルさんといっしょに体を動かして踊っている子どももいましたよ。
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