昨晩は聖路加国際病院の小児科部長であられた細谷亮太さんのお話を聞きにいきました。病院での子どもたちとのふれあいについて、書かれているものを読むたびに、いつも子どもの命と向き合っている方ならではの、徹底して子どもの立場から医療を考える姿勢に心動かされていました。母校の立教大学で、清里のキープ協会にあるにある森の保育園、ヨハネ保育園の園舎建設のための講演会で、細谷先生がお話されるというので、行ってきました。親子の関係が欧米と比較して、日本の場合子どもの大事なことを決めるのは母親の主導が特徴であること、自然の恵みをいただく「いただきます」ということばが、生きていることなどを話され、未来につながる「自然」である「子ども」をめぐって、命の感覚を現代人が失わないでいることが大切なのではないか。「自然」がなくなれば人間はだめになるのだから。と言われていました。入院中の6歳の男の子同士の友情を描いた短いDVDを見せていただきました。命を召された者、生き残った者がいっしょに過ごした5か月、いっしょに「今」いることを喜んでいる二人の様子が目に焼き付いています。この子たちがとりわけ優しいというからご報告するわけではなく、子どもたちは、ほんとに優しいんです、と細谷先生は言われていました。
私も昔むかし小学校2年生のときひと月だけ、入院生活を送りました。退院した日、同じ子ども部屋で過ごしたみんなと別れるのが悲しくて、家に着くまではがまんしていたのですが、家で思いっきり泣きました。子ども同士で遊んでいるのが楽しくて、病気の重い子も軽い子も、そのことを気にするというよりは、その時の遊びに夢中になっていました。お話の上手なお医者さんがくると、みんなでお話をせがんでは、聞き入ったこと、それぞれシーツをベッドにかぶせてテントみたいにして、くっくとわらっていて、看護婦さんにしかられたこと、など今でもいくつも忘れられないことがたくさんあります。もう60年近く前のことなのに。だからあのDVDの男の子も、いなくなったお友達のことを、ずうっと忘れないと思いました。「きみのこころに生きてるよ」とかいうことばは子どもにはわからないけど、心の働きとして、忘れないことというのがあることを今はわかります。
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