今年はじめての「飛ぶ魚」トーク会は、山本忠敬夫人の洋子さんのお話でした。親子三代に読み継がれている「しょうぼうじどうしやじぷた」「のろまなローラー」などの画家、山本忠敬さんが、どのようにして絵本画家になられ、どのようにして絵を描かれていたか、を、残った絵を託された洋子さんが語ってくださいました。この日のために京都からおいでくださった洋子さんは、乗り物が大好きで、乗り物の絵を描くことが大好きで、取材を重ね、資料をていねいに見て、絵を描かれていた様子を伝えてくださいました。小さい頃、子どもの雑誌の付録についていた、乗り物の設計図から、立体を作る付録が大好きでらしたこと。また絵の勉強をされた後の、戦後は絵描きさんたち皆困窮していた時期、アニメーションの書き割り場面を描く仕事をしていて、そこで、動かないものを動かして描くコツを学んでらしたこと。また日本の児童文学の基礎を作られた瀬田貞二さん、渡辺茂男さん、松居直さんなどと出会い、児童百科の仕事をし、絵本の仕事も始められたこと。
そして素晴らしい絵本の第1作「ピーうみへいく」を「こどものとも」30号として、福音館書店の松居直さんの依頼でかかれたときは、「小さな出版社で原稿料もらえるかわからないけど、どうせ描くならこの紙に描こう」とフランス製のピンクの紙にお描きになったこと。そのために横浜港を何度も取材され、その時に、今展示中の「ちいさいサンパン」の絵も描かれたこと。忠敬先生が亡くなられる前、「ピーうみへいく」が一番好きだ、と言われたこと。そして「週刊新潮」のカットと文字を生活を支えるものとして40年間月曜日と金曜日、1日も欠かさず新潮社へ通い、絵を描きつづけられたこと、そのため長期の旅行などはなさらなかったことなど、貴重なおはなしを聞かせてくださいました。
そのあとは東京と横浜から来てくれた、忠敬先生と親しかった編集の人たちと、どんなにチュウケイさん、この愛称で呼ばせていただいたのですが、とご一緒に飲むのが楽しかったかの話になりました。綺麗な女性もお好きでしたが、男性からもとても好かれた方でした。ダンディで、上品でお酒が好きなチュウケイさんが、あたりに穏やかで心楽しいオーラをなげかけるどんなにステキな方だったかを、口々に語りました。
生きておられたら102歳になられるチュウケイさんが、あの穏やかな笑顔で見守ってくださっていた、暖かで、かつ貴重なひとときでした。